長いあいだブログを変えなくてすみません。
いいわけじみますが、この間、取材で瀬戸内海に浮かぶ直島へ、そして出雲、隠岐へも行き、その間、いろいろなパーティーや打ち合わせを兼ねた会食などで、ゆっくりする暇がなかったので。
それにしても、もう少し頻繁に更新するようにしなければいけませんね。
実は今朝(2日)、NHKの朝8時半からの生活ホッとモーニング「この人にときめき」という番組に出演しました。
「熟年革命」が出版されたこともあって、熟年世代に元気を出してもらおうと思っているのですが、黒崎、永井、両アナウンサーの巧みな司会にのせられて、喋りすぎたかも。
続いて5日、「朝ズバ」にちらっと出るかも。
四月は二度ほど、京都へ行ってきた。
講演など、所用があってのことだが、おかげで、京の桜を堪能することができた。
だいたい、京都の桜は東京より一週間近く遅いが、初めに行ったときは、ソメイヨシノが満開であった。
二回目はそれより一週間ほど遅くれて行ったのだが、枝垂桜が一部満開、一部は散りかけていた。
だが鴨川上流の岸辺の枝垂れと御室や原谷の桜は満開。
京都は市内だけでもかなりの標高差があり、さらに比叡から琵琶湖まで足を伸ばせば、ゆうに一ヶ月以上は桜を楽しむことができる。
できたら、もう一回と思うけど、そう欲張っても仕方がない。
所用で広島県宮島へ行ってきた。
ここはもちろん海に浮かぶ赤い鳥居の神社が有名で、世界文化遺産にも登録されているが、鹿でも有名。
現在、宮島の人口、二千人に対して鹿の数は五百頭とか。
いずれも角は切られて性格は大人しそう。
でも、朝、山からでてきて日中、街で過し、夜、また山へ戻るグループと、夜中も街で過すグループと2通りあるとか。
鹿にも人間と同様、家に戻らぬ不良がいるらしい。
先日、品川プリンスでおこなわれた会合に出たあと、少し時間があったので、同ホテルにある水族館に行ってみた。
そこでエイやサメやマンボウなど、奇妙な格好をした魚を見たあと、さらにアシカのショウがあるというので、特別会場に入ってみた。
ここは観賞席の手前に半円形のプールがあり、その奥のステージに2匹のアシカが現れて、さまざまなショウをする。
このアシカ君、いずれも賢くて楽しい。お客さんの拍手が足りないと、自分の両手(ヒレか)を叩いて、さらなる拍手を求める。それを見て、子供たちと一緒に笑いこけたが、入場者のなかで、多分、わたしが最年長者。
このホテル、この他に座り心地のいい映画館やショウや手品などを見られるEXホール、さらにボーリング場などもあり、ホテルというより、エンターテイメント広場といった感じ。
こんなホテルがあったら、一人で泊まっても退屈しないだろう。
2月29日の閏(うるう)日の金曜日、帝国ホテルで、文壇クラブ『数寄屋橋』の40周年記念パーティーが開かれ、沢山の作家の方々、そして古くからのお客さんたちがお祝いに駆けつけました。
このクラブ、直木賞・芥川賞の受賞者が選考委員の皆さんと受賞の祝杯をあげているシーンをマスコミでご覧になった方も多いかと思いますが、その場所が『クラブ数寄屋橋』です、とご紹介するのが一番わかりやすいでしょうか。
北方謙三・大沢在昌先生お二人の豪華な司会で始まったパーティーは、まず発起人代表の紀伊国屋松原会長の挨拶に続き、渡辺淳一先生がママとの古い際き合いを語って大爆笑。そのあとさまざまな人々の挨拶が続きました。
会場は立錘の余地もないほど人々で溢れ、楽しくきらびやかな記念パーティでしたが、これも、ひとえにクラブ数寄屋橋の園田静子ママのお人柄と、40年のたゆまぬ努力の結晶に違いありません。本当におめでとうございました。
京都から日文研で戻ってきた2月22日金曜日は、東京會舘で行われた芥川・直木賞受賞パーティーにお伴。
渡辺先生と林真理子先生が雑談をしていると、二人の間に北方謙三先生が「アカンベー」をして乱入。
まるで子供のいたずらで、周りは爆笑の渦に。相変わらずの茶目っ気たっぷり。
なお、本日のお着物は、渡辺先生のお下がりではなく、最近ご自分で誂えたお着物である旨、ブログに書くようにとのことでしたので、その旨、お伝えさせていただきます。
この着物、渡辺先生によると、ひげ紬の名品とか。
日本の素晴らしい文化を嗜む日文研。
昨年お盆以来の京都です。
今回は渡辺先生に代わり、お伴が
"お伴日記”と題し、ご紹介させていただきます。
まずは330年続く京都の老舗「大市」で、すっぽん料理を堪能。
ぐつぐつ煮えたぎる丸鍋はスープにご飯と溶き卵を入れたすっぽん粥で圧巻です。
また、丸鍋もさることながら、スープに熱燗を注いだ
特製すっぽんスープがたまりません。
身体が「ぽっぽっ」してきます。
驚くことの程ではないのかもしれませんが、
世の流れか、いつの間に「大市」さんも禁煙です。
その後は、祇園町のお茶屋に行き、たくさんの
芸者・舞妓さんに囲まれ京都の一夜を楽しみました。
先日、ドッグランに行ってきた。
といっても、犬を遊ばせるためではなく、そこに集まる犬や人々を見るためだけど。
もう少し具体的にいうと、ある取材のためだが。
ドッグランは犬が競争するところだと思っていたが、ただ放し飼いするだけのところだとわかりました。
そこで犬を介して、男女が仲良くなることはできないか、いや、多分あるのだろう。そういう人に話をきいてみたいと思っていたら、ミッキーカーチスの例が報道されていて驚いたけど。
今回は都内の駒沢公園と代々木公園の二ヵ所に行ってみたが、今度は夜のドッグランに行ってみようと思っている。
先日、節分の雪の日に滑って転んで、右の腰と肘を打ったけど、もうほとんど治りました。
ご心配をかけて、メールなどもいただきましたが、ありがとうございました。
やはり主治医(わたし)の治療法がよかったのだと思います。
また明日あたりから、雪の予報だけど、今度は気をつけます。
それにしても、早く春が来ないものか。寒さに弱くて、冬が大嫌い。
北国育ちなのに、といわれそうだが、もう北海道を出て40年近くになるのだから、育ちは関係ないかも。
もっとも、この冬は風邪一つひかなかったから、寒さへの免疫はできているのかも。
2月末には、京都へ梅を見に行く予定。
節分の4日、目覚めると京都は雪。
たまには京の雪も風情があると、雪景色を眺めながら新幹線に乗る。
雪は名古屋では完全に晴れていたが、東京に近付くにつれて激しくなる。
午後、渋谷に着いてマンションに入ろうとした途端、排水路の上をおおっていた金属製のカバーに滑って転倒。
もっとも、滑ると思った瞬間、逆らわらず、むしろ腰を前に押し出したので、臀をついた形になり、被害は右の大腿部と右肘を打っただけ。
みなさんも転びそうになったときは下手に逆らわず、柔道の受け身のように自分から転んだほうが軽くすみますよ。
おかげで自分で診察した結果は、大腿と肘の打撲傷だけで、痛み止めと局所の湿布などの処置をする。
それでも歩くのは辛くて跛行。右腕も動かす度に軽く疼く。
それにしても、転んだのは何年ぶりか。これも年齢のせいか、いや、あの状態なら誰でも転ぶ、と思ったり。
とにかく数日で治る、と自分にいいきかせて、経過を観察中である。
明けましておめでとうございます。
正月休みはのんびりと、と書きたいところですが、実は2、3日と講演のため徳島に行ってきました。
此処は大塚製薬発祥の地で、この社の賀詞交換会に招かれて講演をした、というわけです。
正月早々から聴衆が来るのかと少し不安でしたが、御社の〝ヴェガホール〟の定員、300人を超す人々が集まってくれました。
その講演とは別に、徳島の近くの鳴門にある、大塚国際美術館を見せてもらって一驚。
ここには古代から中世ルネッサンス、バロック、そして近代から現代までの西洋の名画が陶板で再現され、展示されています。
まず正面の長い長いエスカレーターを昇った大広間の天井から側面まですべに描かれているのが、ミケランジェロの「システィーナ礼拝堂」。それから「最後の晩餐」「モナリザ」そしてゴッホ、ピカソ、ミロなどまで、すべてがこの一館で見られるという豪華さ。
徳島というと、すぐ阿波踊りを思い出すが、こんな素晴らしい美術館があることに感動。
今度は数日かけて、ゆっくり見たいものである。
師走の23日、初めて中山競馬場で有馬記念を観る。
このレースは、有馬頼義先生ご存命の頃から幾度か誘われたが、あまり興味がなかったので行ったことがなかった。
ちなみに有馬記念というレースは、先生のお父様、有馬頼寧氏がかつて農林大臣で、中央競馬会の会長をされたことから、この名前が付けられたとか。
今回はたまたま先生のご子息の、頼央さんに誘われて、一度見てみようかと思って出かけたのである。
だが行ってみると、聞きしに勝る素晴らしさ。
有馬家専用の貴賓室も豪華だが、そこから見下ろす競馬場の美しさ、そして10万余りの観衆のざわめきとウェィブのように押し寄せてくる歓声など、クラッシックレース独特の熱気を堪能。
馬券はなにもわからないまま、武豊が騎乗するメイショウサムソンを頭に流して買ったら惨敗。マツリダゴッホという、誰一人本命に挙げていない馬が優勝したのだから当然かも。
とにかく、東京に来て初めて競馬場に出かけたのだから無理もない。
以前、といっても40年近く前だが、札幌の大学病院にいた頃、札幌競馬場の医務室にアルバイトに行ったことがある。
しかし落馬のような怪我人は無く、退屈なまま、「この馬は、きません」などと裏情報をきいたこともあって、競馬、競輪に興味を失ったまま、馬券を買うこともなかった。
というより、わたし自身、賭け事にはほとんど興味がなく、せいぜい麻雀で賭けたことがあるくらい。あとは囲碁、将棋といった、賭とは無縁のゲームが好きだったこともあるけれど。
振り返ってみると、わたしにとって、自分の本を出すことが最大の賭けだったのかもしれない。
それを毎年くり返すうちに、冒険心はそちらに吸いとられたというのが本音。
それはともかく、今回で重賞レースの華やかさと面白さがわかったので、これからときどき行ってみようと思っている。
師走も迫って、忙しさとともに気持ちも落着かない。
それというのも、22、23、24日と、3連休が続くからである。
おかげで、この前の20日前後までに、正月原稿のすべてを入稿しなければならない。
くわえて12月は、文壇関係のパーティーや出版社との会食、さらには各種忘年会などがくわわって、夜はほとんど外出。
もう1週間も経つと、少しは落着くのだが。
しかし、正月は2日から徳島に。風邪もひかず良く動くと自分でも呆れている。
このところ、講演、サイン会、対談、取材旅行などが続いて、週のうち半分くらいは不在。落着いて東京にいる暇がなかった。
その慌しさも、12月第1週で一息つくが、この間、何とか乗り越えられたのは、電車や飛行機、車の中でも寸暇を惜しんで眠れる鈍感力のおかげ。
これがなければ、とうに倒れていたかもしれない。
ともかく、これから少し落着いて、やってみたいことは、暢んびり碁を打つこと。碁も将棋もしばらくやっていないので、実力4段の腕前も相当、落ちたことは間違いない。
他にゴルフもしたいが、こちらは一日がかりで、時間がかかりすぎるので容易にできない。
こんなことをいっておきながら、会食などのあとに飲むことは多く、こちらを抑えれば大分、時間が空くと思うのですが、それがなかなかやめられないのが実情です。
先日、わたしの誕生日(10月24日)には、多くの編集者や知人などが集まってくれて、賑やかなパーティーになりました。
こんな年齢になって、本当にありがたく、嬉しいことです。
もっとも、わたしは還暦から1才ずつ年齢を減らすことになっているので、今年でようやく46才になりました。
もう少し、40才くらいまでは生々しい小説を書き続けていきたいと思っています。
先日、「鈍感力」が百万部を突破したのを記念して、集英社の社長以下が参加して築地の料亭でお祝いをしてくれた。
その折は、装丁家の三村淳さんや、連載中の挿絵を画いてくれた唐仁原教久さんなども出席してくれて、座が盛り上がった。
このとき、この本を担当してくれた集英社の清水智津子さんが、ちょうど「鈍感力」一冊が入る可愛い布製の袋をつくってプレゼントしてくれたが、その脇に千社札に似せた赤い字で「鈍感力 渡辺淳一」と記されている。
さらに同じ文字を記した千社札を沢山つくってくれたので、今度どこかに秘かに貼っておこうかな。
また同社文芸部のスタッフから、「鈍感力 渡辺淳一」と記したゴルフボールもプレゼントされる。
このボール、曲って林に入っても、木に当ってフェアウェイに戻ってくるかも、と期待しているのだが。
8月半ば過ぎ、講演で沖縄に行く。
那覇空港、到着と同時に、日本トランスオーシャン航空の社長をしていた市ノ澤氏と会い、沖縄特産のピンクのミンサーシャツをプレゼントされる。
このシャツ、行く前から、サイズや好みの色などをきかれていたのだが、まさか、すでに出来上がっているとは思っていなかった。
早速着てみると芭蕉布のようにしっかりした布地で、しかも涼しくて着心地がいい。
講演のときも、「是非それを着て欲しい」といわれて、思いきって演壇に立ち、説明すると、みな喜んでくれた。
このシャツに四つと五つの絣模様(かすりもよう)が交互に配され、さらに百足のような経縞がある。これには、「いつ(五)の世(四)までも、百足のように、足繁くわたしのところに通って下さい」という女性の思いが秘められているとか。
いまどき、そんな優しいことを言ってくれる女性は少ないだろう。
ともかく、それを着て講演して、夜は市ノ澤氏の案内で沖縄風日本料理店へ。
それにしても、現地に行くまでは相当暑いかと思っていたら、島国で風がある故か東京より過しやすい。
夜もクーラー無しで眠れて、翌日帰ろうとしたらチャイナ航空の炎上騒ぎで、空港は騒然としている。
30分ほど遅れたが、無事帰京できて、東京でも沖縄のシャツを愛用している。
毎年、正月休みもお盆休みも東京にいて、出かけることはほとんどない。
人混みそのものが、うんざり、ということもあるし、そんなときにこちらまで出かけてお邪魔するのは悪い、という気がして、休み中は仕事。
とくに10月に講談社から刊行予定の「あじさい日記」の手入れがあるし、8月から新たに連載が始まった「恋愛格差(ゲーテ)」の原稿もある。
だが、今年だけはお盆休みの初めの11日から3日間、青森の最北端、竜飛岬から13湖などを巡る。
「週刊新潮」に連載中のエッセイ「あとの祭り」の足摺岬に次ぐ岬めぐり第2弾の取材のため。
この岬は石川さゆりさんが歌った「津軽海峡冬景色」で有名だが。
真夏のどんな風景画見られるのか、今から楽しみである。
7月20日、テレビ朝日の「旅の香り」の収録で札幌へ。内容はわたしが東京からきた野際陽子さんを空港で迎えて、支笏湖から札幌、そして別荘のあるスウェーデンヒルズなどを案内するというもの。
だが当日は、この季節には珍しく雨。
晴れ男のわたしには信じられないことだが、聞いてみると野際さんは雨女とか。出会いの瞬間からこちらの負け。
おかげで折角の支笏湖から、わたしが一番お気に入りの「淳ちゃん浜」の落日も見えず。小生の文学館や姫鱒を食べるシーン、そして別荘に近い中村ラーメン店など、室内シーンだけは問題はなかったが。
それにしても今度いつか、晴れ男の偉力を発揮して、野際さんに快晴の北海道を案内したいものだが。
この放映は7月29日、夜7時から、あまり期待しないで見て下さい。
7月6、7日は、恒例の「ヤブの会」夏のツアーで、北海道に行ってきた。
もうご存知の方も多いかと思うが、「ヤブの会」とは、わたしを囲む担当編集者の会で、この名前の由来は、わたしがかつて医師をしていたからである。
むろん、わたしはこの名前に納得しているわけではないが、いつの間にか定着して、いまさら変えるわけにもいかない。
行先は、わたしの別荘のある札幌郊外のスウェーデンヒルズで、総勢60余名。ゴルフ組は、金、土とゴルフをし、観光組は夕張などを見学。金曜日の夜は全員が一室に集合して懇親会を行う。
このとき、例年、俳句会をおこない、投稿された句を全員で「ブー」とか「まあまあ…」などといいながら選考する。
ちなみに今回の最優秀作は「炭住跡ノラネコのそり額紫陽花」という句。
しかし句会だと毎年、上手な人が上位に入るので、今回からは川柳の部門も設けたが、こちらの1位は「薮の会七月だけはヒルズ族」というもの。
俳句、川柳とも、天、地、人に賞品が出るが、他に「あまりにひどい賞」というのも出すことにして、下手な人も救済することにした。
むろん、そのあと北海道の魚介類やトウモロコシなどとともに、ビールや焼酎などで全員、北国の夏を楽しんだ。
おかげで、「鈍感力」は多くの方に読まれているが、この言葉をときに誤って使っている人がいるようである。
たとえば先日、あるラジオを聴いていたら、職場で敏感な人と鈍感な人と、どちらの方がいいか、という話になっていた。
そこで調べた結果、「やはり敏感な人のほうがいい」という意見が全体の7割近くに達したのに対して、「敏感すぎるより、暢んびり鈍感な人のほうがいい」という人が3割近くいたとか。
この統計、本来の鈍感力とは何の関係もない。
この本でわたしが言いたかったことは、社会で失敗したり、いやなことが、あってもすぐに忘れて、明るく前向きに進んでいける」そういう力を鈍感力というので、単なる「無神経で鈍い」のとはまったく異なる。同様に身体も少し寒いとか、やや食べすぎたくらいで、風邪をひいたり下痢をするようでは困るということで、もっと鈍い身体になるべきだ、という意味である。
改めて記すが、鈍感力と鈍感とはまったく別のものである。
先月末、5月29日から31日まで上海へ行ってきました。
今度、「鈍感力」中国訳が出たのを期に、各新聞社などとの記者会見、上海書城でのサイン会、上海師範大学での講演会、さらにテレビ出演など休む間もないスケジュールでしたが、多くの中国人に会えて刺激的な3日間でした。
詳しくは上記の写真をご覧下さい。
ちなみに、鈍感力の中国語発音は「ドンカンリー」となります。
突然ですが、この29日(火)から31日まで、中国上海に行ってきます。
以前から行かなければ、と思っていたのですが、今回、「鈍感力」が中国で刊行されるのを機に出かけることにしました。
なかなか日程がとれず、短い期間ですが、その間にサイン会、講演会、さらに各種テレビに出演します。
上海に行くのは3年ぶりですが、日々激しく変わる上海と、そこに住む人々の熱い眼差しに触れるのを楽しみにしています。
なおサイン会は上海書城にて、講演会は上海師範大学で、テレビは上海テレビなどです。
もともと、ゴールデンウィークやお盆休みには、遠出しないと決めていた。
いつも、講演や取材旅行で出かけているので、多くの人が出かけるときは遠慮しようと思っていたからである。
だが、今回だけは高知まで出かけた。といっても30日に発って2日に帰るという、連休のなかでは比較的空いている谷間の時だったけど。
日程はまず高知へ飛び、そこから旧中村へ行き、四万十川の清流を見て、宿毛から足摺岬へ行くコースで、高知から車で直行しても3時間以上かかる。
以前から足摺岬に行ってみたいと思っていたので、ようやく念願かなったわけだが、さすがに美しくて怖い岬である。
此処に立ち尽くしていると、自殺したくなる人の気持ちもわからぬわけではない。
夜は満天の星におおわれると聞いていたが、その夜は朧月夜で星はまばら。
帰途、休憩所で「小夏」を見つける。高知特産のこの柑橘類は甘酸っぱくて上品な味わいで、わたしの大好物。先に高知出身の山本一力氏から頂戴したが、そろそろなくなってきたので箱ごと買って事務所へ送り、いまは1日1個ずつ大切に食べている。
昨年8月半ばから産経新聞に連載してきた「あじさい日記」は、この4月末で終わります。
この小説は、新宿で開業している医師の夫、省吾が、偶然、妻の志麻子の秘密の日記帳を見つけるところから始まりました。
夫はそこに自分の浮気に怒り、嫉妬する妻の心情が赤裸々に記されていることに驚き、慌てます。
だがこの関係は後半、微妙に変化して、やがて志麻子は大学時代の恩師に惹かれ、恋するようになる。
そしていま、物語の最後の段階に近付いていますが、どのように収束するか、頭を悩ましています。
新聞連載する場合、多くの作家は1カ月から数ヶ月前の分まで書いているようですが、わたしはいつもぎりぎり。1週間も余裕があればいいほうなので、いまが一番苦しいとき。
でもこれが終われば、東京新聞から始まって、読売、日経、産経と、続いた新聞連載からも開放されます。このあと五月晴れの下で暢んびりできることを楽しみにしています。
先週末の金曜日、6本木のバーで「愛の流刑地」の主題歌「哀歌(エレジー)」の歌唱コンクールをする。
参加者はヤブの会(わたしを囲む編集者)の会員のみだが、30名近い男女が熱唱。
わたしは音痴なので、特別参加の中江元朝日新聞社長、バイオリニストの坂本悦子さんなどと審査委員になる。
結果は講談社の北村周君が、顔に似合わぬ透明な声で堂々の優勝。二位は中央公論社の深田浩之君が曲への思い入れの深さが認められて準優勝。
賞品授与のあと、チークタイムなどでさらに盛り上がり、渋谷の事務所に戻ったのが、午前二時。翌朝はテレビの最終日。これでは勤まるわけはない。
恐れていた花粉症になって、いささか参っています。
プレドニンの注射をすれば、治ることはわかっているのですが、「週刊現代」の医療対談でも、あまり好ましくない、と話し合ったこともあって、控えています。
あと1ヵ月くらい我慢すれば、と思うのですが鈍感力で頑張ろうと思います。
これまで17年間にわたってやってきた、日本アイスランド友好協会々長の職を、この3月で退くことになりました。
会長といっても、実際は事務局が全部やってくれていたのですが、少し気が楽になりました。
この2月7日「鈍感力」(集英社1100円)を刊行しました。
これはもちろん、小説ではなくエッセイです。
いきなり、鈍感力など、奇妙なタイトルだと思われる方も多いかと思います。しかしこれはかねがね思っていたことで、鈍感なのは生きていくうえで、強い力になる、ということです。
たとえば会社で上司から叱られたり、なにかいやなことがあってもすぐ忘れて、前向きにすすんでいける人、肉体的にも、よく眠れて、目覚めもよく、なんでも好き嫌いなく食べて消化できる。こういう力こそ、本来の才能を育み、大きく花開かせる原動力になるのです。
この鈍感力の最たるものは母親の子供への愛です。たとえウンチでも、子供のものなら色を見て匂いを嗅いで、さらに汚したご飯もつまんで食べることができます。たとえ子供が罪を犯しても、母親だけは許します。この大きな愛こそ、鈍感力以外のなにものでもありません。
また、男と女の愛も見方を変えたら鈍感力で、愛する人のことなら、かなりのことでも許せます。
これまで鈍感というと、なにか悪いマイナスイメージのものと思われがちでしたが、そんなことはありません。ひりひりと傷つき易い、鋭く敏感なものより、たいていのことではへこたれない、鈍く逞しいものこそ、現代を生き抜く力であり、知恵でもあるのです。
この本を読まれて、自分にはどの程度の鈍感力があるのか、そしてどのように考えれば前向きに生きていけるのか。参考にしてもらえれば幸いです。
この13日(土)から、「愛の流刑地」の映画が、全国東宝系劇場で一般公開されているが、幸い、お客さんの入りは上々とのこと。
多くの方々に、是非この映画を見て欲しいものである。
また、この映画の主題歌、平井堅さんが歌う「哀歌」も発表される。
この歌は彼が「愛の流刑地」を読んで、自ら作詞作曲したもので、なかなかいい。
私は音痴で、こんな高音の難しい歌は唱えそうもないが、編集者の中には早くも、この歌を練習している人もいるらしい。
いずれ、歌自慢の人に集まってもらって、コンクールでもやってみようかな。
わたしの原作が映画化されたなかで、主題歌が気に入っているのは、「ひとひらの雪」
この曲を歌っているのはジュディーオングで、作詞は阿木耀子さんだった。
この曲は、いまも銀座の「麻衣子」というクラブに行くと、ピアニストの先生が弾いてくれる。
「哀歌」は是非、ヒットして欲しいけど…
しばらくブログの変更を怠けていて、申し訳ありません。
その間に師走もおし迫って間もなく新年。なのに年賀ハガキもできていないありさま。
それというのも、年賀状には毎年一句添えることにしているが、それがまだできていなかったから。
しかし、今日になってようやくできました。その句とは
元旦や まだ書くのかと 我にきき
むろんまだ元旦ではないけど、ときどき、まっさらの原稿用紙を見ると、「おいおい君は、まだ書くの?」と、自分にきいてみたくなるのです。
はたして、いつまで書けるのか。わからぬまま来年も書くつもりですので、よろしく。
みなさま、よいお年を
昨日、「愛の流刑地」の完成披露試写会が六本木ヒルズでおこなわれた。
その前、記者発表や数回のインタビュー、対談などに追われた。
肝心の映画はその2日前に東宝本社で見せてもらったが、よくできている。
これまで、映画化、テレビ化された、わたしの原作は30本をこすが、そのなかでもっとも優れている。
冒頭から激しいセックスシーンが続くが、これが美しく、ときに幻想的である。
さらに、わたしが小説に込めたテーマが全編によく表されていて、重く深い作品になっている。
後半から終わりにかけて、わたしは思わず泣いたが、それは、いわゆるはらはらどきどきの、俗な涙ではない。
人間が本来秘めている欲望や執着など、いわゆる業と倫理との葛藤から滲み出る切なさである。
これだけの作品をつくってくれた鶴橋監督、そして出演者のみなさんに感謝したい。
富山、大宮(埼玉)、松山、大阪
以上は先週から今週にかけて移動した地名である。その間に、パーティーや会合が5回。
もともと秋は講演が多いが、それにしても、これだけ動き回っては体調を崩してしまう。
事実、4、5日前から風邪気味で、喉が少し痛くて、咳が出る。
しかし、わたしは風邪程度では病院に行かない。下手に行っては、余計な病気をもらって、かえって悪くなるからである。
そんなわけで、家にある風邪薬を服むだけ。これまで服んだのは葛根湯とコンタックとパブロンゴールド。そして熱湯に溶かした蜂蜜。あとは高温多湿の部屋で寝るだけ。
もともと風邪ウイルスは高温と湿気に弱いのである。
その甲斐あってか、動き回っていたか、今日あたりから快復の兆しあり。まず咳が止まり、鼻水が出るようになり、体もややすっきりしてきた。
これは体内につくられた防御軍がようやく力を盛り返して、外からのウイルス軍より優勢になった証し。
この調子でいくと、あと2、3日で、すっきり風邪から抜け出せそうだが。はたしてうまくいくか、自分で自分を観察中である。
10月24日は、わたしの誕生日。
さそり座のトップで、といっても、なんの意味もないけれど。
それを祝って、編集者など50人近くが集まってくれて、食べて飲んだけど、ありがとうございました。
さらにお花や手紙やメールなどをいろいろいただいて、その方々にも、改めて御礼申し上げます。
もっとも、わたしの年令になると、誕生日といっても、「嬉しくもあり、嬉しくもなし」というのが正直な感想。
このところ、忙しくてブログの書き替えが遅れてしまった。
いつも読んでくださる方には、申し訳なかったが、毎日、さまざまな原稿の締切りに追われているので、絶対的な締切りのないこちらは、ついあとまわしになってしまう。
これからは、気をつけます。
ところで、遅れた最大の理由は、毎週土曜、9時55分からのフジテレビ、「知的冒険ハッケン」という番組のレギュラーになったからである。
これまで、テレビはときどき出てはいたが、いずれも単発で、ほとんどが予め録画してまとめたものだった。
それが、今回からは1時間半におよぶ生番組である。
出てみてつくづくわかったが、原稿を書く仕事とテレビの仕事はまったく違うということ。
原稿のほうは、あれこれ考えながら、ときに消しゴムで消したり、途中、書きくわえたり、行きつ戻りつしながら書いていく。
しかし、テレビは速戦即決。内容よりも、まず反応の速さが求められる。
これがうまくできない。年齢の功で、心臓は図太いほうかと思っていたが、「あと、30秒」なんて掲示がでると、頭が熱くなって慌ててしまう。
でも、これで2回やって、少し考え方が変わってきた。
どうせ自分は活字の世界の人間で、テレビの世界の人のように、素早くスムーズに喋れない。
だから、彼等に真似しようとするのではなく、自分のやり方でやっていくよりない。
そう思い直して、少し気が楽になったけど、スタジオに行くと、やっぱり緊張してしまう。
忙しさにかまけて、ブログの書替えが遅れて申し訳ありません。
たしかにいまは、「産経新聞」の連載にくわえて、「週刊新潮」のエッセイ、そして「週刊現代」の医療連載対談。それに各種雑誌、新聞などのインタビュー、そして秋に多くなる各種文学賞の選考会と、そのための本の下読みなどがあり暢びりする暇もない。
でも、そんなあいだをぬって、先日久しぶりに「ドングリ会」に出かける。
これ、実はゴルフ会の名前。以前から編集者を中心にした「ヤブの会」のなかから、とくに下手な人、スコアーでいうと1ラウンド120以上叩く人たちが選ばれてつくられた会。
当日は十数人が集まってファイブハンドレッドクラブでおこない、優勝は新潮社の郡司裕子くんで、121にハンディー35でネット86。
ちなみにブービーメーカーは講談社のM君で合計180。
だいたい110を切ると、退会勧告をうけるので、スコアーがいい人は戦々恐々。
ところでわたしは、長年のキャリアのおかげで100を少し切った程度だが、この会の会長であり、ゴルフ場のメンバーでもあるのでそのまま。
プレー後、和気あいあいの懇親会。
スコアーが悪い人ほど威張っている、不思議な会である。
いま産経新聞に連載している「あじさい日記」は、浮気をしている夫が妻の秘密の日記帳を発見するところからはじまる。それを読んだ夫の慌てぶりはある程度書けるが、日記を書く妻の気持ちになりきるのが難しい。
こんなとき、妻はどういう夫の仕草から怪しいと感じ、どんな行動をとるのか。その各々について、自分が女になったつもりで書かなければならない。
しかしわたし自身、男そのものだから、女になるのは難しい。
そこで女の人の意見、とくに夫の浮気に怒り、悩み、仕返しを考えている人妻の意見をきいてみたい。
それがわかると、小説はよりたしかなリアリティーをもちうるのだが。
男女の小説を書いていて、いつも思うことは、これで本当の女性を書けているのか、という疑問である。
たまたま、「これだけ違う男と女」という本を、中央公論社から出したばかりなので、なにか皮肉なめぐり合わせである。
お盆の最中、成城にある東宝撮影所に行く。
ここではわたしの原作、“愛の流刑地”の撮影がおこなわれている。
クランクインしてからまだ半月余りだが、順調にすすんで、すでに3割をこ撮り終えたという。
当日はたまたま、独房に収容された菊治が、夜、仰向けに休んでいる。
そのうち、不思議な予感にとらわれて目を開き、天井の一点を見つめていると、冬香の幻影が現れるというシーン。
ゆっくりと菊治は天井に向って手を差し出し、それに冬香の手がからまり、そのまま二人は激しく抱き合う。
夢に見ていた抱擁。
だが、やがて幻影は雲のように消え去り、気がつくと菊治は堅い床の上でうつ伏せに倒れている。
以上の段取りで、監督の「ハイッ」という声とともに撮影がはじまる。
演じているのはむろん菊治の豊川悦司くんと、冬香の寺島しのぶさん。
豊川くんはわたしの「エ・アロール」にもでているが、今度は心機一転、少し若すぎるかと危惧していたところも見事にのりこえて、新境地開拓の熱演。
寺島しのぶさんは、やや痩せて妖艶そのもの。
二人の呼吸はぴったり。
鶴橋監督も新しいアイディアを次々とだし、情感豊かな画面が期待できそう。
ちなみに、鶴橋監督はいまから30年前、わたしの「野分」のテレビ化のときに演出したことがあるベテラン。
主演の二人と話したが、ともに意欲は充分。久しぶりに大人の鑑賞にたえうる、大人の映画ができそうである。
もう1年以上前になるが、オリジナルのカクテルをつくったことがある。
このカクテルの名前は「幻覚」
たまたまその前、読売新聞に「幻覚」という小説を書いて、中央公論社から出版したがそれを記念してつくったのである。
カクテルのレシピは以下のとおり。
ジン 40ml
グレープフルーツ 60ml
ペパーミント 5ml
シロップ 10ml
レモン 1滴
チェリー 1個
これをカクテルして、中型のフルートグラスに入れ、底にチェリーを1個沈める。
一般のカクテルグラスは見た目は華やかだが、色気がないので、フルートグラスにして、底にチェリーを1個沈める。
これで、ミントの淡い緑と赤いチェリーが鮮やかな色合いを見せ、妖しい雰囲気をかもしだす。
全体の味は甘くて引き締っている。とくにグレープフルーツの口当たりのよさで、女性も好んで飲むが、2杯も飲むと軽い酔いを覚えるから、弱い人は要注意。
むろん、勝負カクテルとしてもつかえるけど。
その後、積極的に宣伝していないので、知っている人は少ないが、いまも皇居に近いパレスホテルや渋谷東武ホテルのバーでは飲める。
1杯、1100円から1200円程度。
カクテルに興味のある方は、ぜひお試しください。もちろん頼む時は「幻覚」と指示してください。
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この8月15日から産経新聞で再び連載をはじめる。
1月に日経新聞で「愛の流刑地」の連載を終えてから、ほぼ6ヶ月、この間いろいろ迷っていたが、最近ようやく構想ができあがった。
内容は、ある中年夫婦の妻が、夫の浮気の内容を詳細にメモしている。その手帖を夫が思いがけぬことから目にして驚愕(きょうがく)するところから小説は始まる。
それ以後、どう展開するかはこれからの問題だが、タイトルはいまのところ、「あじさい日記」にしようかと考えている。
いうまでもなく、紫陽花は梅雨どきに咲く花だし、花言葉は「移り気」または「心変り」である。
中年の夫と妻の揺れる心をどれくらい書き込めるか、確信はないが、現代の夫婦のありかたに一石投じるような作品にしたいと思っている。
いずれにせよ、これからまた新聞にしばられる日々が始まる。
さまざまなインタビューや対談の度に写真を撮られる。
もちろんこれらは、それぞれの記事とともに誌面にのるのだが、この写真を撮られるのが結構つかれる。
総じて写真は意識せず自然体に写したものがいいのだが、素人のかなしさ、実際はなかなかうまくいかない。
わたしの場合、話している最中にカメラマンが自由に撮った写真のほうが生き生きとしていいのだが、ときに「真直ぐカメラに目線を下さい」などといわれると、たちまち緊張してつまらない写真になる。
このことをある女優さんに話すと、「カメラの向こうに、好きな人がいると思って見詰めるのよ」と教えてくれた。
なるほど、彼女はいつもそう思ってやわらかい表情をつくるのか。
そこで、いわれたとおりやってみたが、カメラの向こうに好きな女性が見えるわけもなく、かえって、なにかを探るような奇妙な顔になってしまった。
やはり、彼女ほどのナルシズムが足りなかったのか。
ともかく、わたしが多少、自信があるのは笑顔である。
「笑ってください」といわれると、比較的簡単に笑顔をつくれる。むろんそのためには、これまでの可笑しかったことなどを思い出すか、カメラの向こうに面白い人がいると、さらにやりやすいけど。
それにしても、何枚撮ってもいい写真ができないときもあるし、簡単に数枚撮っただけで、すぐオーケーになることもある。
してみると、カメラマンの才能の問題もあるのかと思うが、やっぱり自分の顔は自分の責任、ということに落ち着きそうである。
私設ブログ「にっけいしんぶん新聞」に「愛の流刑地」について書き続け、八重洲ブックセンターでのサイン会のレポートを記してくれた記者くん、長いあいだご苦労さま。
サイン会のときには近くまでこられたのに、突然罪悪感にとらわれて帰られたとか、残念です。
なにも、そんなに考えることはなかったのに。
もし、アマゾンで購入済みでしたら、本を送ってくれたらサインして返送しますよ。
「愛の流刑地」の映画は俳優さんも決まり、7月からクランクインします。
主演の菊治を演じる豊川悦史さんは、これまでの単なるいい男から演技の巾を広げていることは、テレビの「くず」などを見てもわかる。さらに「愛ルケ」では思いきっていままでにない新生面を切り拓くといっているし、なによりも、この役をやりたい、と熱望してくれたところが嬉しい。
冬香を演じる寺島さんは演技的には定評のある人で、どんなシーンにも大胆に挑む女優さんなので、大いに期待している。
監督の鶴橋氏は30年前、わたしの「野分」のテレビ化のときのディレクターで、男女のもでは実績のある人だけに、どこまで深く描いてくれるか、楽しみである。
サイン会でいまひとつ気になるのは、サイン会場とお客さんたちの並ぶ場所である。
前者はテーブルの高さと椅子の位置が合えばさほど問題はないが、できることなら正面に並んでもらうことにこしたことはない。そのほうがこちらからも大体の様子がわかるし、お客さんもあまり退屈しないですむかもしれない。
それより問題なのは、お客さんの並ぶ場所である。せっかく来ていただいたのに、ときにかなりお待たせすることがあるかもしれない。
こういうとき、狭い空間や倉庫のようなところで待ってもらうのは失礼である。しかし書店にはもともとあまり大きなスペースがないので、つい手狭なところに追い込むこともあるかもしれない。
とくに戸外などでは雨の降ったときに困るし、内部でも長時間立ったままでは高齢者の方などは大変な苦痛である。
さらに列の最後尾がわからず、戸惑う方もいるかもしれない。
しかし、机の前に座ってサインするだけのわたしには、そうした列の状態がわからない。
でも以前、並んでいるうちに気分を悪くされた方が出てから、たえず列の様子を見るように、わたしの事務所のスタッフや同行の編集者に注意をするようにいっている。
むろん書店の事情もあるだろうが、サイン会をして一番安心していられるのは名古屋の星野書店である。ここは社長さんの配慮でわたしの前に5,6人が座れる横長のベンチを縦に5,6列並べ、その先は立って待ってもらうが、店員さんが「次は整理番号、何番から何番です」と案内してくれる。
これだと前の人は座って待つことができるし、番号に合わせてくれればいいから時間のロスも少なくてすむ。
すべての書店がこういうわけにはいかないが、せっかく来て下さったお客さんに、できるだけ苦痛を与えずサインして差し上げたいと願っている。
去年は「愛の流刑地」を連載中で、主人公の菊治の気持になって小説を書き続け、「青空の下、白球を追う」ような気分になれず、ゴルフはほとんどやらなかった。
だが今年1月に連載も終わり、その後、寒い日が続いたが、桜も散ってようやく初夏。
五月晴(さつきば)れのゴルフシーズン到来とばかり、久しぶりに文壇コンペに出る。
会は、東京、中日新聞、北海道新聞、西日本新聞など、3社が共催するゴルフ会。
三社連合なので、発音をもじって「サンシャイン、ゴルフ会」といって、名のとおり、いつも太陽が照って晴れていたのだが。
今年に限って、朝から雨。
それでも、午後から晴れるという予報を信じてスタートしたら、雨は激しくなるばかり、3ホールまですすんだところで、グリーンに水がたまり出し、バンカーも池になりかけたので、中止。
やむなく昼前から、ビールや酒を飲んでの懇親会。
ところで、せっかく用意された賞品はどうするか。
そこで、アミダで決めることになったが、面白いといえば面白いし、馬鹿げているといえば馬鹿げている。
くじを引いた結果、わたしは第4位。
まともにやれば最下位に近かったから、これはこれでよかったのか。
しかし、朝早くから出かけてすぐ中止になった欲求不満は大きく、これも菊治と冬香の恨みのせいかも。
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中国の対日感情は悪化の一途をたどっているようである。
私事で恐縮だが、つい最近、事務所の秘書が出版の件で中国に行ってきた。
これまで、わたしの本が中国で50冊以上出版されて書店に並んでいたが、それが現在はほとんどないとか。
わたしの本は、とくに反中国的なものではないから、これは小泉総理の靖国参拝などに反発した反日感情によるもの。秘書が宿泊したホテルでも、日本人ということで冷遇され、極力、日本語は喋らないように注意され、一般の中国人の態度もかなり冷ややかだったとか。この傾向はとくに北京で強く、上海ではいささかゆるいらしい。
わたしの本が中国で売れなくなること自体、たいした問題ではないが、現実に中国で仕事をしている日本企業にとっては、かなり重大な問題らしい。
テレビでは、つい最近、日本の議員団がまとまって靖国参拝するシーンをくり返し映して、反日感情は高まるばかりとか。
もともと、わたしは首相の靖国参拝には反対で、新聞や週刊誌にもその旨エッセイを発表しているが、今は一刻も早い小泉首相の退陣を望むだけ。
一国の総理である以上、まず国益を最優先に考えるべきで、餓鬼(がき)っぽい我を通すだけの総理なぞいらない。
今年、「世界で最も影響力のある人物100人」のなかに小泉首相が選ばれたようだが、たしかにこの人が東南アジアにおよぼす悪影響は、相当なものである。
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この半月くらい、今度の4月23日(日)夜、放映予定の「グレートマザー」の収録に追われて落ち着かなかった。
わたしの書斎から仕事部屋、さらには講演会からパーティー、はては京都取材のついでにお茶屋で遊んでいるところまで、いいろいろ撮られたが、果たしてどこが収録されているのか。
原稿や対談は、すべてわたしが書き、しゃべったことを、再度たしかめるので安心だが、テレビの編集は相手任せなので落ち着かない。
ここにでてくる母は「みどり」といって、明治40年の生まれだが、86才で亡くなり、今年13回忌をおこなう予定である。
若いときから明るく活発で、札幌の女学生時代に、大正時代のモガ(モダンガールの略)のような帽子をかぶって、ラケットを持っている写真にあきれた記憶がある。
この母に一度、「おまえは〝女難の相がある〟から気をつけなさい」といわれたことがある。
そのときは、「まさか」と半信半疑であったが、たしかに女性にはいろいろ悩まされ、困惑したこともある。
しかしそれは所詮、自分がしでかしたことだから、「女難の相がある」といった占い師が当ったわけではなく、わたしが占い師に合わせた、ととったほうが正しいかもしれない。
今(4月3日)、都内は桜が満開。
渋谷の近く、NHK正面から松涛公園、明治神宮一帯から代々木公園、青山墓地から霞ヶ関、そして千鳥ヶ淵と、さまざまな桜を見たが、桜にも生まれた場所の運不運があるらしい。
たとえば代々木公園や千鳥が淵の桜は、背景の緑の森やお濠の水が桜をきわだたせるが、都心部のビルのあいだにある桜は、いくら咲いても背景の無味乾燥な石の壁にはさまれて、沈んでしまう。
京都の桜がひときわ美しいのは、この背景が優れているからで、松や柳につつまれ、さらに古い神社仏閣が趣を添える。
どうせ桜に生まれるなら、「京都の東山に育ちたかった」と嘆いている桜も多いかもしれない。
この桜の咲きかたは、わたしは「箍(たが)が外れている」と記したことがある。
箍が外れる、とはすべての緊張や抑制が解かれた状態だが、桜にはそうしたすべての拘束から解き放たれたような狂気があふれている。
人々が桜を美しいと思いながら、妖しい思いにとらわれるのは、こうした異様な気配が潜んでいるからに違いない。
それで思い出したが、わたしの小説、「桜の樹の下で」の映画化のとき、桜を撮影していた技師にきいたことがある。
あるとき、満開の桜の写真が欲しかったが、咲くのが遅いので、枝に撮影用のカメラのライトを当てて、早く咲かせようとした。
すると、たしかにその樹だけ早く咲いたが、翌年からその樹だけ咲かなくなったとか。
人間の無法なやりかたに桜は怒り、黙したのだろうか。
そこで今一つ思い出したのだが、今の東映の社長をしている岡田祐介氏から聞いた話。
まだ子供の頃、時代劇の名優、市川歌右衛門丈と世田谷の馬事公苑に行ったら、桜が満開だったとか。
そこで祐介氏が「これはソメイヨシノですね」と言ったら、歌右衛門丈は、「違う」と即座に否定して「祐ちゃん、これはサクラだよ」と教えてくれたとか。
さすが名優は違う…
17日夜、東京駅前丸の内ビルの「丸善」で「みんな大変の」サイン会をする。
ここは1年半前、このビルが出来たときに、「幻覚」のサイン会をしたところでもある。
会場は2階の入り口に面した通路の前。
定刻の6時半に行くと、すでに多くの人が待っていてくれる。
サイン会ではいつも、表紙のあとの見開きに読者の名前を記し、その左手に1段下げてわたしの名前を書いて、落款を押す。サインはすべて筆で書くのでやや疲れるが、せっかく来てくれたお客さんが喜んでくれるので、以前からこのようにしている。
もちろんお客さんの名前は楷書で書くが、自分の名前は書きなれた草書で書く。2年前、それを見て、「なんとかいたのですか」ときいた人がいて、面食らったことがあるけれど。
店で配られた整理券には、「著者への一言」という欄があり、いろいろ書いてくれる人もいるので、サインしながら、それについて話すこともある。
さらに書き終わったあと、握手をするが、なかには写真を希望される人もいるので、一緒に写真を撮ることもある。
本を1人で2,3冊買われる方もいるが、なかに他の本までたくさん持ってきて、すべてにサインして欲しい、という人もいる。
こういう場合は、他のお客さんが待っているので、2冊までにお願いしている。
以前は女性のお客さんのほうがやや多かったが、最近は男女ほぼ同数のことが多い。年齢別的にも、80代の方から高校生までと、いろいろな方が来てくれて嬉しい。
なかに、「母がファンなので」とか、「父に頼まれて」といって、ご両親の名前を書いて欲しい、という人もいる。
ところで先日、ある女子高生に、「祖母がファンで…」といわれて驚いた。
「おばあさんによろしくね」といっておいたが、長い間作家生活を続けていると、いろいろなことがあるものである。
長年、書きためていた、「みんな大変」を、ようやく本にすることができた。
この本、かつてアフリカのサファリーに行ったことがきっかけで書きはじめた、動物たちの物語である。
ここには、ライオン、ヒョウ、トラ、ハイエナなどの肉食獣、さらにゾウ、キリン、ガゼル、ヌーなどの草食動物などが登場するがいずれも、生きていくのは大変なのである。
ライオンなぞ一見、百獣の王で、気楽だと思われがちだが、そんなことはない。
彼等が大好物のガゼルは逃げ足が早く、容易につかまえることができない。それじゃあ、足ののろいゾウでも襲(おそ)ったら、と思うが、これは皮が硬いうえに肉もまずくて、とても食べる気にはなれない。
要するに、美味しいものは逃げ足が早いのである。
さらに、オスもメスも大変で、どんなオスも強くなければメスと関係することができない。
このようにみんな大変だから、特定の動物だけ数が増えず、バランスが保たれているのである。
それに比べて人間は、と振り返ると、いろいろ考えさせられ、反省させられることが多い。
とにかく、動物もわれわれも、生きとし生けるもの、みな大変なのである。
でもみんな、元気で生きている。
この本が、前向きに生きている人はもちろん、くじけがけている人、辛い立場にいると思いこんでいる人々も含めて、みなの励みとなり、生きていく糧(かて)となるといいのだが。

あまりの寒さと、新聞小説が終った骨休めにハワイに行く。
この時期なら空いているかと思ったら、ホテルもゴルフ場も満杯に近い。
やはり日本が寒いからと思ったら、さにあらず。多くはアメリカ人。それも去年の夏のハリケーンの影響でフロリダ周辺の避寒地が打撃を受けたため、東海岸からもきているらしい。
それはともかく、ホノルルで三泊。久しぶりにゴルフをして夜はフレンチとイタリアンとステーキ。そしてアルコール。
おかげで日本にいるより疲れたが、気分の転換にはなった。
ハワイへ行く前、一日、熱海に行くが、かなりの寒さ。広大な梅園に行ってみたが、人だけで梅はまだ固い蕾(つぼみ)のまま。
かわりに枝ぶりを見るが、やはり淋しい。
以前から、「梅は本妻、桜は愛人」のイメージだと思っていたが、いまは本妻の梅がようやく咲きはじめたばかり。
本格的な春はまだ遠い。

幻冬舎の見城社長らと
一月末に「愛の流刑地」を書き終えて、いまは心身ともに一息つきほっとしている。
振り返ると、一昨年の十一月一日から今年一月末まで、十四ヶ月の長丁場、よく書き続けてこられたと、自分でもいささか驚いている。
むろん、これは多くの読者の励ましのたまもの、深く深く御礼申し上げる。
ブログでも、さまざまな意見があり、なかには批判的な、さらには揶揄するような意見もあったが、それはそれで刺激になり、さらにファイトをかきたてられて書くことがことができた。
とにかく、いまはまだぼうっとして、新しい小説を書く心境にまではいたっていない。
それより、「愛の流刑地」を読み直し、推敲して、五月初めには単行本として出版する予定である。長さからいって上下二巻になりそうだが、雰囲気のある装丁で、読み易い本にしたいと思っている。

私は、作家の中でも特に手直しの多い作家と言われているらしい。
実際、ある編集者から「気合の入った校正、ありがとうございました。」と皮肉を言われたこともある。
いずれにせよ、最初の原稿がより完成されたものであれば、校正はあまり必要ないのだけれども、アイディアが決まるとそのまま一気に書き出すので、完全な文章にならないのである。
始めから熟考したうえで文章を書き出す人もいるし、私のように思い出したら一気に、ともかく書いて、それを何度も推敲する作家もいる。
どちらがいいかはともかく、私は後者のやり方で40年もやってきたので、今更かえられないのである。
今の新聞連載小説も一回分を、最低4、5回は書き直す。
おかげで、事務所のデスクはおおわらわ。
特に、愛ルケは今月で終わる予定で、今、最後の原稿にさしかかっているため、さらに、書き直しが多く、デスクは悲鳴をあげている。 ごめんなさい!!
明けまして、おめでとうございます。
本年もよろしく、といっても、なにがおめでたくて、なにがよろしくか、よくわからないけど。
ところで、五日は恒例の、渋谷の事務所開き。今年も編集者諸氏が三十名近く集まってかなり賑やか。
新年会の宴もたけなわ、というより終わりに近づいてふと見渡すと、男性と女性の数がほぼ同じくらい。
そこで、王様ゲームをしよう、というこになる。
この遊び、新橋のお座敷などで、芸者さんを交えてやる一種のゲームだが、まず男と女が交互に座る。もし、男が多すぎたら、男同士隣合わせで座ってもかまわないけれど。
そこで、全員の数だけ割箸を用意して、その端に、1・2・3・4・・・とナンバーをつけていく。そして一本だけに赤字で、「王様」と記しておく。
新年会のときは、たしか二十本くらいだったが。
そこで、箸を全員に配って、まず、「王様だあれ」といい合い、王様を引いた人が手を挙げる。
この王様は名のとおり、絶対の権力を持っているから、好き勝手なことを要求できる。
たとえば、「二番と五番と、正面から強く抱き合え」とか、「三番と十二番と、キスをしろ」とか。
命令されたら、それだけは勘弁して、といっても駄目。いわれたとおり、絶対にやらねばならない。
これが男同士とか、嫌いな相手と当たったら悲劇。
ところで小生は、文春のY君の口に含んだジュースを、口移しに飲まされる役。
仕方がない、酔った勢いで飲んだけど、Y君がなにか病気をもっていたら、そろそろ今夜あたりから発病するかも…
クリスマス・イヴ、狂ったように人々が街に出て、フレンチやイタリアン・レストランは超満員。
さらに、お互い「メリークリスマス」のメールを打ち合い、プレゼントを贈り合う。
まったくクリスチャンでもないのに、この狂った燥ぎかたはなになのか、というのは月並みの意見か。
まぁ、騒ぎたい者は騒いでいればいいのだが、イヴだからといって、食事をする場に困ったことは一度もない。
それというのも、イヴは洋食系のレストラン以外の店に行くからである。今年も、がらがらのそば屋で鴨焼きとおでんを楽しんだが、その他に、鮨屋や天婦羅屋、中華料理店なども空いていて快適である。
なんでも、みなと逆のことをするように。
このところ、連日、原稿に追われている。
二十三日からの三連休に続いて、年末年始の休みに入るため、原稿を十日分くらい、早めに送らなければならない。
日頃から、締切りに追われている小生にとっては、まさに受難のとき。
とにかく、二十七、八日で大きな山をこすことになるけど、はたして無事こえられるのか。
そのかわり、年末年始は東京から一歩も外へ出ない。
いつも講演や取材などで各地を飛び廻っているので、長い休みのときは人混みを避け、さらには、このときを楽しみに出かける人たちの、お邪魔をしないように、というわけ。
そんなわけで年賀状も遅れていたが、昨日ようやく完成。といっても、年賀状に刷り込む俳句が完成しただけだけど。
毎年、一句入れる慣わしになっていて、いまさら止めるわけにもいかず、毎年、苦心するが、今回は次の一句。「新年や思うことなく髭を剃る」
ちなみに去年の句は、「恋やつれ仕事やつれで俺が春」そしてその前は、「初詣またあやまちをくり返す」だけど。
以上の二句からみると、今年はユーモアが薄れて、少し正調すぎるかも。
それにしても、そろそろ一年も終る。月日が経つのは早いと、嘆く人は多いが、刑務所にいる人にとっては一年は遅すぎる。それからみると、早いと感じるのは幸せな証しと思って、新しい年へすすもうか。
ところで、この暮で作家生活四十周年になる。この起点は昭和四十年暮れに「新潮同人雑誌賞」をもらい、それが芥川賞候補になってから。
以来、何万枚の原稿用紙をつかい、何百本の鉛筆をつかい古してきたことか。このあたりで、原稿用紙と鉛筆の供養会でもしようかな。
国会での姉歯建築士への証人尋問を見るが、これを追及する議員たちの、甘さに呆れる。
とくに最初の自民党議員は、真相究明といいながら、自分たちのくだらぬ知識や考え方を延々と披露するだけ。
あんたのいうことなど、ききたくない。それより姉歯の証人尋問なのだから、姉歯に喋らせろ。それにしても、もう少しシャープで頭のきれる議員はいないのか。
「SAYURI」を見るが、ひどすぎる。
日本の伝統文化も、なにもわかっていない。ただ芸者をオモチャとしてしか見ていないアメリカの独善と優越感だけが露骨にでている駄作。
まさに国辱的映画だが、これに喜んでいる役者たちも、国辱もの。
GEヘルスケア・エッセイ大賞の授賞式とパーティ。今回のテーマは、「乳がん“マンモグラフィ検診率2%”について」大賞受賞者は谷津泉さんの「手術後の心を伝える~乳がん患者からの提言」。乳癌になった体験をもとに、鋭く切実に、現在の医療の問題点を指摘している。
その一つ、乳癌検診に有力なマンモグラフィによる検査で、男性技師に触診される辛さ。女性の心を理解した愛情ある診断と治療への希望は当然で、早急な改善が望まれる。現在、乳癌の発症率は女性の二十三人に一人とか。年々増えているというが、それは早期発見の方法が進んだからではないか。それが高じて、「やたら発見、やたら手術」についても、一考するべきだろう。
福井県大飯市に講演に行く。
ところが、この依頼を受けたときに、福井市と、勝手に思いこんでいた。
むろん秘書のM君に、もう少しきちっときいておくとよかったのだけど。日が空いているというので、簡単にオーケーを出していた。
ところが、いざその日が近付いて仰天した。なんと、福井でなく福井県で、しかもその一番西にあり、小浜に近い。
ここまでどうして行くのか。改めて調べると、京都まで新幹線で行き、そのあと在来線で綾部へ行き、そこからタクシーを一時間半近くとばして大飯へ。
ここまで、事務所を出てから、実に六時間。むろん帰りも六時間はゆうにかかって、合計十二時間。
これだけあれば、ハワイ往復もできたかも、とあとで思ったけど。
それにしても、地図では倍近く遠い福岡へは、一時間半で行ける。
そろそろ日本地図も、平面の図形だけでなく、どこへは何時間で行けるという、時間ごとの地図を、誰かつくってくれないかな。
とにかく遠くて疲れたけど、地元の人が歓迎してくれて、夕食に食べた、ぶりの刺身と甘鯛の焼きものが美味しくて、疲れもいくらか癒された。
それに夜道の暗さも淋しさもわかって、それなりに勉強になることも多かった。
晩秋の川奈に行って、ゴルフを楽しむ。
川奈ホテルの部屋の窓から見下ろす風景は、十一月の末だというのに、青い海を前に明るく穏やか。
広い庭とプールの先の樹々の茂みが、茶褐色に色づいているが、そのなかに一本だけ白く小さな花を咲かせた樹がある。
名前をきくと桜で、十月桜という種類だとか。
このあと、一月末から緋寒桜が咲きはじめ、四月の八重桜まで、桜が絶えることはないとか。
さすが、暖流に洗われる南伊豆、と感嘆するが、こんなに桜が咲き続けてもいいのだろうか。
桜は年に一度、数日、満開の美しさを見せて儚く散るから、一層美しく愛惜もつのるというものだけど。
あたたかすぎる川奈に、ちょっと意地悪をいってみたくなる。

photo by Junichi Watanabe
昨日、編集者の有志の人と、着物を着る会を、向島の「大漁」という、ふぐ店でする。そのあと、向島の料亭で芸者さんを呼んで楽しむ。
じつは、「銀座に行こう」という声もあったのだが、これでは目立ちすぎるので、ほどほどのところでお開きとする。
10月24日、誕生日会を銀座で開いてもらいました。遠い昔の研修医時代、妊婦さんの出産予定日の計算方法を学びましたが、これを応用すると、母親のお腹で着床しただいたいの日がわかります。まず、誕生月からー9、誕生日からー20を引きます。私の場合、10月-9=1月、24日-20=4日。つまり、1月4日付近のお正月に、私の原型がこの世に誕生したわけです。
北海道生まれ。医学博士。1958年札幌医科大学卒業後、母校の整形外科講師となり、医療のかたわら小説を執筆。1970年「光と影」で直木賞を受賞。 1980年に吉川英治文学賞を、2003年には菊池寛賞などを受賞する。